第10回 2006年 10月23日 月曜日 開催
猪熊泰則氏
株式会社講談社 月刊少年マガジン編集長
「マンガ編集の現場から〜コンテンツビジネスの明日はどっちだ」
<プレゼンテーション>
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- 現場での経験を踏まえ、マンガの制作過程、マンガに特化した編集者の業務、マンガ制作に対する考え方などを紹介する。それを踏まえ、マンガ雑誌の時代による変遷、未来のマンガはどこへゆくのかなどを考えていく。
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- 自己紹介
- 1990年講談社入社、以降漫画編集者として現在まで16年間、漫画雑誌に携わられる
- 現在、月刊少年マガジン編集長(プレイングマネジャーのようなお立場)
- 一年に18冊発行(12冊の月刊、6冊の増刊←主に新人作家を載せる)
- 漫画編集者の役割
- 単に原稿を取り行く、というだけではない
- 漫画家という特別な見方で世の中を見ることができる、特別な感性を持った表現者、クリエーターと共同作業をするのが編集者
- 肉体的、精神的に追い込まれる漫画家(マラソンランナー)と手は出さないが見守って、勝利を一緒に目指す人(マラソンランナーの伴走者、箱根駅伝の監督)
- 漫画編集者の日常
- 業務サイクル
- 終わりがない
- 一つ終わればすぐ漫画家と編集者(マガジンでは一人の漫画家に対して複数の編集者がいる)の打ち合わせで次の号の話になる・・・第1回目の打ち合わせ
- 作者がネーム(略図。絵コンテ)を作成。それを見て編集者と第二回目の打ち合わせ、編集者のOKが出るまでこれを繰り返す
- 漫画家は作画に入る。そのための資料(絵を描くための細かい写真、インタビューなど)が必要な場合には、編集者が漫画家の要求に対応・・・漫画の「うそ」を成り立たせるための本当のこと(リアルなものの下準備)が少ないと物足りない作品になる
- ふきだしの中に入れる字を用意しながら、原稿があがるのを待つ(月刊マガジンでは、それを自分の手でのりで貼っている)
- 待つ間に、編集者があおり、惹き文句(表紙のボディコピーのようなもの)を考える
- 編集者が自己主張できる、自分のこだわりを出せる場
- ここを見て作家が編集者を評価する場合もあるので手は抜けない
- 原稿が納入され、写植(ふきだしにせりふを入れる)をする
- 写植自体はデジタル化されるだろうと思われる
- 納入されない場合(原稿が「落ちる」)もある
- 以上の繰り返し
- 週刊誌の業務サイクルは以上を月4回繰り返す
- 漫画編集者の役割の変遷
- 漫画黎明期(トキワ荘)
- 編集者が家に訪ねて原稿をもらいに行く
- 内容に関して一緒に詰めていく
- とにかく原稿をきっちりもらって帰ってくるのが至上命題
- 大御所を中心とした発展
- ジャンプの勃興(70年代中盤〜80年代)
- ジャンプは後発だったので大御所は既におさえられていた
- そこで新人漫画家を発掘し、新しいものを書かせて育成する
- アンケート主義で読者が喜ぶストーリーを作る
- これらの試みで先発雑誌(サンデー、マガジン)に追いつき、最終的には追い越す
- マガジンの挑戦(80年代中盤〜90年代)
- マガジンが打倒ジャンプを目指して、編集部主導で読者のニーズに答える
- 漫画家一人に対して担当を複数付け、ブレインストーミングをして作品の方向性を議論しアイデアを作品に採用していく・・・今も伝統として残っているやりかた
- 天才バカボンで取られていたそのスタイルを見て他の漫画にも導入
- 漫画家が煮詰まってしまうことや、集中力、ネタ不足を補い、安定的にクオリティの高い作品を出せるようにする
- 1997年11月5日発売号で、ジャンプを追い抜きトップ雑誌に返り咲き
- GTO
- 金田一少年の事件簿などのヒット作
- 編集部の意見が強すぎて、漫画家の創造性をさえぎってしまうというデメリットもある
- 漫画家が面白いと思えていないものを作品にしてしまう危険性も
- 新人の漫画家の間で編集者の悪い評判が立ってしまい、悪い部分だけ共有されて敬遠されてしまう可能性
- 漫画新世紀
- 低年齢化し、読者とともに成長をさせ長期に読者を囲い込む(ジャンプの例)
- 漫画が売れなくなってきている・・・対策が必要
- 携帯電話に取られたのはお金ではなく時間。この状況でも売れる仕組みが必要
- 漫画のこれから
- 予想できること
- 漫画を好きな人が雑誌からコミックに移行する傾向
- 雑誌が作品の育成に繋がっているので衰退を止めなければいけない(文芸雑誌の衰退に似ている)
- 漫画の文芸化(時間をつぶすためではなく、芸術的に見て楽しむ時代になるのではないか)
- 個々の作家、作品に注目が集まっていく
- 漫画雑誌のジェンダーフリー化(性的相互乗り入れ)
- 少年、少女、女性、青年等、漫画の区分けがなくなっている(のだめカンタービレの例)
- 作家も女性が少年誌で描くなどの傾向がある
- 作家主義と企画主義の2つに分かれていく
- 作家主義:大家と中心とする作品の場合は、編集者は周りの環境を整えることに徹する(編集者としての意見は出さない)
- 企画主義:作品の共通コンセプトを作って、そこから派生させ、漫画、アニメ、映画、おもちゃなどで共同で企画し進めていく(さくら大戦など)
- もし漫画がその中心であれば、企画主義の真ん中になれる・・・これをしないといけない
- この場合、漫画の編集者の役割はプロデューサー的になっていく
- 新人漫画家育成の重要性
- 新人育成は編集者の重要な役割(高く見積もって成功確率1/100)
- いい絵がかけるか、面白いストーリーが作れるか、に加えて自分の考えを伝えるためのコミュニケーション能力も必要
- 漫画が世の中に(文化的に)認められ始めた故に、規格外の才能が流入しにくいため、新人をきめ細かく育成していく必要性がある
- 編集者として育成を成功させるためにはめぐり合い、運にも左右される
- それを可能にするのは日々の努力の積み重ね
- 漫画の表現形態としての比較優位性
- アニメなどのシナリオ作成には漫画家の代弁者として編集者が出席することがある
- かかわる人が多くなるほどに、作品で表現したいことが薄まっていく感を受ける
- 漫画はその点、最小作家1人で制作できるのでより世界観が純粋に表現されやすい
- リスクを負うことがアニメや映画よりも少なく、毎週、毎月の連載の反応をみながらの打ち切りもより容易(制作費が安い、人手など初期投資などが少なくてすむ)・・・ラボのような性質があり、使い勝手が良い
- 日本が漫画大国になった理由
- ガンダム作者曰く「日本の漫画は右上から始まって左下で終わる。舞台や映像表現の上手と下手と同じ。これは人間が左側を守るという生理的な反応と同じ。」
- コマ割技術の発達(手塚治虫以降、漫画家たちが追求していった)・・・日本に優位性がある
- 漫画からMANGAへ
- ライセンス料を徴収したり、現地法人を作って対応するなど日本の出版社が世界進出
- 逆版は2004年以降みられなくなってきている・・・日本のままで出しても読者はさほど気にならない
- 各国における漫画編集者
- アメコミなどでは、社長兼作者、兼編集者というケースも(アニメーションスタジオのような形)
- 漫画をアートとしてみているヨーロッパなどでは、とことん作者にお任せ
- 雑誌で漫画を読むというスタイルは日本のものだけではないか?(外国ではより文芸的なので単行本で読む)
- 編集者の力、編集者と作家の関係と、作家の作画力(コマ割など)が日本の漫画を発展させる原動力だったという認識
- 最後に
- 時代の夢を先行的に表現すべきもの・・・現実が先行してはいけない
- 大衆によって支えられる「文化のスポンサーは不特定多数の一般大衆」
- 読者の「勝ち組シフト」によって”流行ってるから読んでみる”という流れが顕著に(情報消費者の存在)・・・NANAの例
- パトロンという意識で大衆が自分なりの投資対象を見つけて欲しい
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<質疑応答>
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- Q:漫画で育った作者が、漫画を描くと自我撞着、縮小再生産になってしまうのではないか?
- A:漫画家にはできるだけ漫画を読まないようにさせる。なるべく本など別のイマジネーションを必要とするものを読ませる
- Q:雑誌の販売数が減っているということだが、広告についてはどう考えているのか?
- A:広告で稼ごうとは思わない。その時間があれば少しでも良い漫画を生み出したい、というのがポリシー。ただ媒体としては魅力はあると思う
- Q:この先、ジャンルを特定して専門雑誌化していくのか?
- A:今の10倍くらい雑誌の数が増えたらそういうこともあるだろう。またガンダムのように明らかに強いキャラクターがあり、ターゲットが見えていないと難しい
- Q:日本のコマ割技術の優位性は、安定的なのか?中国、韓国はまだまだ追いつけていないように見えるが、それはなぜか?
- A:内部競争がはげしくないからではないか。まだ追いつかれないのではないか?
- Q:編集者の役割が重要になってきているように思える。そこで編集者を育てる仕組みはどのようになっているのか?
- A:職人的な徒弟制度になってしまう。ある程度までは努力で達成できる。ただそもそものセンスがあるかないか、も大きく影響すると思う